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北海道・東川町でありのままに起こったことを話すぜ

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写真作家の、みくになえといいます。2019年8月2日(金)〜4日(日)、北海道・東川町の国際写真フェスティバルにいってきました。

東川町国際写真フェスティバルって?

今年で35回目となる東川町・国際写真フェスティバル。1985年から「写真のまち」としてブランディングを開始し、2014年に「写真文化首都」を宣言。文化で町おこしするのは今では当たり前にある話ですが、瀬戸内国際芸術祭よりも、渋谷文化村よりも前から取り組んでいたというから驚きです。

マンホールでも宣言。

私は2017年に本フェスティバルの『赤レンガ公開ポートフォリオオーディション』への参加をきっかけに、来訪するようになりました。

『赤レンガ公開ポートフォリオオーディション』について

写真アーティストの才能発掘を主目的とした公開オーディション。「ポートフォリオ・レビュー」といって、写真作家を志す人がプロフェッショナルの方にポートフォリオを見てもらい、対面でフィードバックをもらうイベントが写真界隈ではよくあります。東川町の場合は、それを公開オーディション形式にし、ふらりと会場を訪れた一般の方にも見てもらえるようにしたそうです。

作家の卵の作品を生で見て、フィードバックも生で聞く。

参加者の中から審査員がファイナリスト5名を選出。最終プレゼンで、なぜその作品をつくるに至ったのか、バックグラウンドやコンセプトについて10分間の質疑応答し、グランプリ1名と優秀賞4名が選出されます。グランプリの副賞として、本国際写真フェスティバルで展示する機会が与えられ、今回そのための展示で来訪しました。(※本イベントは2018年を持って休止し、現在は別のイベントが才能発掘支援として実施されています)

ちなみにもう一つの副賞として、大雪山の伏流水で育てられた東川米20kgが贈られる。

Day 1:8月2日(金)展示搬入

東川町「写真のまち課」の事務局がある文化ギャラリーにログイン。今回のフェスティバルの概要が記載されたパンフレット一式を頂戴しました。

mont-bellによるフェスティバル公式Tシャツもいただきました。
今日は食事の用意がないので…と町内の食べ歩きMapと食事券もいただきました。

展示する場所は赤レンガ倉庫。入り口には政府指定第一号倉庫との記載が。昔はお米の貯蔵庫として使われていたそうで、年に一度、フェスティバルの時期にだけ展示空間として開放されるそうです。

「政府指定第一号倉庫」の文字。
外壁も写真でラッピング。

今回は、ラトビア国際写真サマースクール派遣作家の中島ゆう子さん、東川アーティストインレジデンス参加作家の辻田美穂子さんとの合同展。東川町とラトビアのルーイエナ町は姉妹都市で、ここで行われる『ISSPサマースクール』というワークショップに若手作家1名を派遣しているそう。アーティストインレジデンスプログラムは、東川町に1ヶ月間作家に滞在してもらい、まちの風土、人、暮らしそのものに身を浸しながら、地域の魅力を切り取ってもらう取組みだそうです。

ここで行われる『ISSPサマースクール』というワークショップに若手作家1名を派遣しているそう。アーティストインレジデンスプログラムは、東川町に1ヶ月間作家に滞在してもらい、まちの風土、人、暮らしそのものに身を浸しながら、地域の魅力を切り取ってもらう取組みだそうです。

中島さんの作品 “Trinity”−日常の中に潜み、人と人との間に存在する様々な“距離”について問いかける作品。
辻田さんの作品“東川日記” −額縁は地域の人の家におじゃましてリースした。

展示空間を3人で分け合うので、自然と会話も生まれます。海外に在住の中島さんからは「ベルリンのアートフェスティバルのレセプションは町の誰もが入場無料」という話を聞いたり、辻田さんからは「富良野にあなたの名前と同じ‘ナエ’というまちがあるから行ってみて」と教えてもらいました。

地元のパワーランチ、「蝦夷ラーメン」のお店へ

いただいた食事券を使って近所のお店にランチへ。蝦夷らーめん、野菜と豚が山盛り。餃子に「お好みでアーモンドスパイスをどうぞ」と勧められたのが珍しかった。料理を待つ間に互いのバックグランドの話もしつつ、地元の人に混ざってラーメンをもりもり食べて、店を後にしました。一緒に「食べる」と「つくる」をすると仲良くなると聞いたことがあるのですが、それは本当かもしれない。

シニアセンターをイベント参加者の宿泊施設として一時解放。

搬入が終わったのは夕方。終了報告をしに事務局に行くと、宿泊施設へのチェックインをしてくれます。会期中、イベント参加者に公共施設を無料解放しているのです。「雑魚寝ですけど…」とのことですがとてもありがたい。合宿気分で、おやすみなさい。

Day 2:8月3日(土) フェスティバル初日

朝10:00。会場へ向かうと既にお祭りムード。というのも、東川町では『国際写真フェスティバル』と同時に地域のお祭り『どんとこい祭り』も開催しているからです。

名前のとおり、老若男女に懐が深いお祭り。
役所通りが、屋台通りに変身していた。

通常、カンファレンスやエキシビジョンに行くと、お昼どこに食べに行ったらいいだろう・・・と土地勘もない中で迷ったり、乾き物や軽食をちょっとつまんで帰る・・・というケースが多いのですが、東川町では一歩会場を出れば地元の味が縁日のようにずらり。

地元の精肉店の大将がポーズを決めてくれました。

会期中は、町のあちこちが展示会場に変わります。中央の文化ギャラリーでは東川賞受賞作家の展示が。ベテラン作家、新人作家、北海道の地域に密着した作家、そして海外作家まで幅広く選出し、コンパクトな会場の中でこれら受賞作を一気に観ることができます。

国内作家賞・志賀理江子さんの展示『ブラインド・デート』

隣の環境改善センターでは、全国の高校生達による『写真甲子園』の展示が。知らなかったのですが、この写真甲子園、全国500もの高校が応募していて、本戦で東川町に来られるのはたった18校。予選落ちした学校の人たちは、希望者はボランティアとして来訪し、イベントを支えてくれているそうです。

写真甲子園の展示。和歌山県立神島高校が3連覇した。

ホール以外の場所も展示会場として活用されています。例えば有形文化財『明治の家』では東川町フォトふれOB・OGの展示が開催されていました。フォトふれ(フォトフェスタ・ふれんず)とは国際写真フェスティバルを裏方として支えるボランティア。毎年15名程度が採用され、写真展の搬入や搬出、作品の扱い方を学ぶことができます。ここで培った知見を生かして、その後作家活動に勤しむOB・OGは多く、中にはギャラリストやキュレーターとして活躍中の人もいるそうです。

明治の家に、若手作家のエネルギー。「フォトふれNEXT」展。
古民家の空間のあちこちに、現代写真が展示されている。
在廊作家と、対話しながらの鑑賞も。

その他にも、廃止になったバス停や、池のほとりの芝生広場など、町の記憶や生活にひもづく場所が展示スペースとして活用されていました。

まさに町じゅうが、写真展。

15:00になると、受賞者を祝うレセプションへの参加呼びかけがありました。

受賞者を祝う集い。ドレスコードは特になし。
太鼓の演奏で、お出迎え。
地元の蒸し野菜で、おもてなし。

行政の方からの感謝の言葉やフェスティバルにかける想いを直接聞くことができました。挨拶の中にあった「今年で35周年」という言葉に改めてびっくり。そんなにも前に、「世界と繋がろう。文化で、写真で、町を興そう」と思ったことがすごい。レセプションにドレスコードはなく、様々なバックグランドの人が、気候や用途に合った各々の服を着ていました。

夜になると、ジンギスカンがスタート。

フェスティバルプログラムの参加者に向けて、夜になるとジンギスカンが振舞われます。はじめましての人でも、「写真」という共通の話題があるので、そこまで緊張せずに話せるのが不思議です。審査員の方とも、和やかに話すことができました。「審査会ではどういった会話があったんですか?」表立っては聞きづらい話も、ここだとちょっと喋ってくれたりする。

お腹が満たされたタイミングで、花火も上がる。

打ち解けてきて、お腹も満たされてきて、ハー気持ちいい、というタイミングで空には花火が。

花火が終わると、温泉行きのバスがやってくる。

花火が終わると、マイクロバスが登場。行き先は「キトウシ温泉行き」。地元の温泉に連れて行ってくれるのです。祭りの余韻に浸ってぽわ〜っとしていると、乗り遅れる人もしばしば。

キトウシ高原ホテル。疲労回復効果のあるラジウム系の温泉。

山の上にあり、周囲は暗いので、車でないと行けない場所。崖のような高台からは町の灯りが見渡せます。北海道の夜は涼しいので、お風呂上がりに吹いてくる風が本当に気持ちいい。運転手さんにお礼を言って、皆各々の宿で、おやすみなさい。

ぽかぽかになって帰宅。

Day 3:8月4日(日) フェスティバル最終日

土日2日間だけの開催とあって、オープンと同時に今日も沢山の人で溢れていました。

ストリートギャラリー。組写真を屋外展示。優秀者にはニコンのカメラが贈られる。

フェスティバル期間中には、家族や友達と気軽に参加できるイベントもたくさんあります。記念写真を屋外で撮ってくれる『思い出写真館 NIJI』というサービスや、地域の消防団の体験ができる場もありました。

屋外で記念写真を撮ってくれる『思い出写真館 NIJI』。
会場の入り口近くには消防団。定番の「制服体験」も。

ユニークだったのは、水風船をドッジボールのように投げ合う『水の乱』。 相手に風船がヒットすると、中から旭岳の源水が飛び散ります。他にも、氷柱の中に手を伸ばしておもちゃを取る『氷柱宝さがし』というものもありました。水がきれいな地域ならではの、涼も兼ねたアクティビティ。

旭岳源水の入った水風船を投げ合う『水の乱』。

展覧会の鑑賞は、意外とエネルギーを遣うもの。途中途中で、こうしてプラプラと散歩していました。写真フェスティバルといえど、どっぷり「写真」だけだと、確かに疲れてしまうのかも。「美味しい」や「楽しい」が周りにあふれているから、緩急があってより楽しめるのかなあと思いました。

新人作家賞・片山真里さんのトーク。座布団に座って、皆、熱心に耳を傾ける。

午後からは、東川町受賞作家のフォーラム。作家の生のコメントを聞くと、より理解も深まります。トークイベントというと、「椅子席、定員あり、事前予約制」というスタイルが多いですが、東川町の場合は「座布団配布、床にペタン、誰でもどうぞ」のスタイル。体裁はリラックスしていますが、耳を傾ける人達の熱量は並大抵ではありません。

トークを聞いているうちに、あっという間に15:00。赤レンガ倉庫の展示終了時間になったので搬出へ向かいました。

ありがとうございました。

搬出中、会場のスタッフさんから温かいお声がけをいただきました。「今回どうでしたか?いろんな人と話せましたか?」「去年のポートフォリオオーディションも、私見てましたよ〜」

1年前に コンペをして、1年後にまた同じ場所で展示させてもらう。こういう体験はなかなかありません。何者でもなかった人間にチャンスを与えてくれ、励ましてくれ、覚えてもいてくれるというのは、うれしい以外の言葉では表せないなと思いました。

一年に一度の思い出が、一生モノのコミュニティになる。

東川町を訪れる人には「いい記憶」があるのだなと気付きました。展示ボランティアを通じて出会った2人が、東川町で入籍届を出した。写真甲子園に大阪から参加した子が、大人になって東川町の役場に就職した。昨年来ただけなのに、「久しぶり」と言える友達ができていた。
フェスティバルを楽しみに来たつもりが、帰る頃には見えないコミュニティに包まれている。だからこの町は移住者が増えているのかもしれないなあ。夏になると思い出して、私もまた来てしまう気がします。

この記事を書いた人

みくになえ/1984年生まれ。多摩美術大学芸術学科在学中に、詩的表現に取り組む傍ら、言葉にならない部分と向き合うために写真をはじめる。https://nmi.pb.online/

今回訪れたところ

北海道東川町国際写真フェスティバル|
〒071-1423 北海道上川郡東川町東町1丁目19番8号

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