
混乱の街
パン屋で、落語。
そう聞けば「混乱しているな」と思う。だが、これならどうだろう。
渋谷で、パン屋で、落語。フに落ちる。渋谷ならいい。渋谷なら自然だ。なぜなら、渋谷は混乱している。サッカーでラグビーでハロウィーンでYOUTUBERだ。そしてDJポリスだ。暴徒と化す若者をなだめ、鎮めようとするDJポリスよ、あなたは何者だ。あなたこそが混乱の象徴だ。そうだ、渋谷にあっては混乱こそが自然であり、混乱していない渋谷なぞ不自然というものだ。だからこそ、パン屋で落語。その会場は渋谷だ。渋谷でなくてはならない。

落語に決めた
JR渋谷駅から徒歩5分。宮益坂を上り、青山通りから少し奥へ入った閑静な場所にあるそのパン屋では、イートインスペースを使って年4回、季節毎に落語会を開いている。店の名前は『パン・オ・スリール』。2009年、店主の須藤宏幸さんはまったくの独学からパンを焼き始め、勤めの傍ら週末のみの営業を始めた。たちまち人気を集めて翌年には専業となり、2013年からは自宅のすぐ傍に店を持った。もともとはアパレルショップだったという店内のスペースを使って何かイベントを、という構想は開業前から持っていた。ご近所さんであったCMプランナー氏に相談すると「ギャラリー、音楽ライブ、お笑い、落語」を提案された。すぐ落語に決めたという。
二つ目を抜擢
落語界は職能集団であり、徒弟制度が存在している。「見習い」から始まり、「前座」は修業の身、「二つ目」で一人前、「真打ち」で師匠となり弟子をとることができる。パン・オ・スリールでも、はじめ真打ちの師匠を呼ぼうという考えがあった。だが前例のない試みであり、スケジュールの確保なども難しかった。そこで二つ目を呼んだが、それが結果として幸いした。今は真打ちとなった柳家小八(二つ目時代は柳家ろべえ)師匠や、NHK新人落語大賞で、優勝者の桂三度さんと同点票を集めた入船亭小辰さんなど、知名度こそまだなかったが確かな腕を持っていた噺家に場を提供したことで、会の噂は伝わり、次第に活況を呈していった。そうやって始まったその名も『スリール亭』は2014年の第一回から数えて、この日、2019年11月9日で延べ22回目を迎えた。
知っているけれど知らない街
当日の午後。新宿で用事を終えると、時間にはだいぶ早かったが、渋谷に向かい、街を歩いた。私は普段、芝居を作ったり、文章を書いたりして生活をしている。渋谷には、かつて足しげく通ったこともあるが、30歳をトウに越えた今、訪れることは稀だ。これといった理由はない。自然だ。自然にそうなった。気づけば東急文化会館はヒカリエに変わり、地下深くに潜った東横線の代わりにストリームができ、そして今、JR渋谷駅の真上にはスクランブルスクエアが現れた。街は新陳代謝を止めない。シネセゾンもシネマライズも、大盛堂書店ビルもセンター街のHMVも公園通りのGAPも存在しない渋谷は、知っているけれど知らない街だ。いつだって工事中の街。それが渋谷だ。それでこそ混乱の都である。

既に行列が
店に到着すると、開演までにはまだ1時間以上の余裕があったが、入り口には既に数人のお客が列を作っていた。チケットは予約制ではあるが、全席自由。早い者勝ちなのだ。人気のほどが伺える。店じまいを早めたという店内では、店主以下、数名のスタッフが会場作りを始めていた。テーブルやレジ台、ショーケースなどの什器が片付けられた店内に、とりどりの椅子がたっぷり50脚、並べられる。このバラバラ具合も楽しい。それらの椅子にぐるりと囲まれた入り口横のスペースに、噺家の座る高座も既にしつらえられている。80センチほどの高さの台に赤の布がかけられ、その上に紫の立派な座布団。マイクはなく、高座から目と鼻の先60センチほどの距離にも桟敷席が作られる。噺家の息遣いまでもが直に伝わる距離であり、これは通常の寄席では味わえない。


バラバラで一つ
珪藻土を使用したという白い壁面はギャラリーとしても使用されており、この日は和菓子や洋菓子などを粘土で形作った、上品なミニチュア作品が展示中だった。もとからあつらえられたインテリアと言っても差し支えないほど、それは店に調和していた。展示作品に当てられた照明も本格的なものだ。天井を見れば、そのライティングシステムは本職のギャラリー並である。パン屋で、落語で、ギャラリーだ。ますます要素は入り組んでくるが、既に混乱はない。この空間には、それら要素を飲み込んで一つにする「場」の引力が働いている。芝居も、バラバラの人たちが集まって一つの作品を作り上げる。この店のバラバラだけれど統一感をもった椅子と同じで、それは規格的に揃えられたものとは違う。バラバラであり、同時に一つなのだ。劇場と同じ魔法がこの場所にかかっていることを感じていると、開場を告げる一番太鼓が鳴り始め、お客の入場となった。

「いま、ここ」にある場所
集まったお客もまた、様々である。寄席通いが板についたムードの初老の紳士もいれば、スマートなマダムもいらっしゃる。知的な学者風の方、さらには着物を着こんだ女性の姿もある。そしてイヤホンを片耳に挿した男性だ。おお、イヤホンだ。しかも片耳である。そうなのだ。寄席やホール落語に行くと、開場時や幕間の時間に、片耳にイヤホンを装着したお客の姿を一定数見かけるものだ。彼らはそれを頑なに両耳には装着しない。一方の耳で何がしかの娯楽に興じ、同時に他方で客席の気配を楽しんでもいる。それはきっと風呂に入りながら文庫本を読むような贅沢だ。その姿を見て確信する。間違いなく「いま、ここ」には落語の客席があり、しかも「いま、ここ」以外ではマッチングされない人々が、複数のレイヤーを束ねるように集合している。


店主の「粋」
男女比はほぼ、半々。年齢層は40代から50代が多い印象だが、20代と思しき人もちらほらといる。複数人連れもいれば一人でスっと入ってくる人もいる。席はにわかにぎっしりと埋まり、店内には静かな熱気が充満する。パンの香りも充満する。そうだ、忘れてはならない。この店はパン屋であった。会がハネた後には噺家も交えて30分程度の懇親会が催され、居残った観客には焼きたてのパンが振舞われる。これを楽しみに来場される方も多く、殆どの人が参加するそうだ。こういった落語会というものは、席代のほかに実費での飲み食い代を運営費用にあてることが普通だが『スリール亭』ではそれをしない。ワンコイン500円でパンは食べ放題で飲み物もつく。損得ではなく、この会を存分に楽しんで欲しいからだと店主は言う。粋である。


『猫と金魚』
開口一番(前座)は春風亭朝七さんで、演目は『猫と金魚』。江戸明治から続く古典落語ではなく、大正時代以降に作られた新作落語の一席で、作者は『のらくろ』を描いた漫画家の田川水泡。大事な金魚を食べてしまう猫一匹に右往左往させられるドタバタギャグで、明るさと馬鹿馬鹿しさが魅力だ。じっくりと演じ込む類の噺ではないのでシラけたらそこまで。意外に難しい一席だが、メリハリの効いた江戸弁口調で軽快にさばいて客席を沸かせた。朝七さんはまだ一つ目だが、相当な技量である。それにルックスも恰好いい。ポマードで撫でつけた髪型もキまっている。ジャズマンのようなムードがあって、後で伺うと、もともとベースを弾いてらしたそうである。それが今は着物で江戸で田川水泡。それが面白い。一人の噺家の中にも、雑多な歴史が詰まっている。

『不動坊』
続いて本日の主役、春風亭一花さんが登場するやご贔屓のお客から「浅草橋!」の声がかかる。かつて八代目桂文楽が「黒門町」と呼ばれたことでお馴染みの、これは噺家の住まいをかけ声にしたもので、一花さんは既に固定のファンを多く掴んでいるようだ。この日は二本の演目をかけたが、一本目は『不動坊』。金貸しの利吉が、降って湧いた縁談話に有頂天になる前半部と、その利吉を恨みに思う長屋の独り者らが幽霊騒動を起こす後半部とに分かれる。利吉の独白で進む前半部を立て板に水の能弁さで快調にさばき、後半部のドタバタは身振りも交えた描写力で熱演。前半と後半で若干、性格の変わる利吉の演じ分けも自然で見事だった。愛嬌と同時に、そのガラに頼らない確かな技術も持っている。さげも決まってここで仲入り。一旦の休憩となった。
『親子丼』
仲入りを挟んで一花さんの二本目は『親子丼』。林家たい平師匠から託された完全新作で、客前ではまだ殆ど演じたことはないが、折角の機会なので挑戦したいとのこと。婚活に失敗続きの、善人だが野暮ったい男性と、息子がいることを言いそびれたまま付き合う女性との恋愛を軸にした人情噺だ。微妙な距離感をもった中年の男女、女性の相談を受ける友人、母親を気遣う幼い息子、そして女性の母親である老婆と、ここでも演じ分けは実に巧みだ。階段から落ちた息子を見舞うクライマックスに差し掛かると、客席のそこかしこから鼻をすする音が聞こえてきた。その音で気づく。この空間がとても静かなのだ。ただの沈黙とは違う。50人が集中して一人の噺に耳を傾けていることで生まれる、無音よりも静かな場所。だがその静寂は一花さんが最後のセリフを発した瞬間、降り注いだ万雷の拍手によって幸福に破られた。

懇親会へ
会がハネて、懇親会の準備のために一旦、お客は外に出る。店主やスタッフによって椅子が片づけられテーブルが置かれると、店はたちまちパーティ仕様に変わる。この店がどんな形に変化しようと、もはや驚きはしない。ほどなく殆どの観客が再入場し、飲み物を受け取ったタイミングで山盛りの焼きたてパンが現れると、テーブルには一斉に人の群れが出来上がる。その呼吸が実に見事である。着替えを終えた一花さんと朝七さんがテーブルを回るとたちまち人の輪ができる。写真を撮る人、サインを求める人、落語の話、近況報告など、二人は実に気さくに対応してくれる。熱演を終えたばかりの噺家とここまで近い距離で交流できることは、間違いなくこの会の醍醐味だ。そして当然だが、パンが美味しい。追加のパンが釜から出てきた瞬間に、アツアツを一つ、スタッフの方がひょいと手渡して下さった。私史上、間違いなく焼きたてを口に入れた最速記録である。いつだって新しい経験はできる。蜂蜜とヨーグルトが練り込まれた食パンを食べたのも初めてだ。

質が第一
パンを片手に会場を回り、何組かのお客さんに話を伺う。第一回から通っているという方は「この回に通うのは、第一に噺家の質が高いから」と言い切った。お情けで通っているのではなく、登壇する噺家の選択が確かであること、内容のグレードが高いことが決め手なのだ。年期の入った落語ファンという雰囲気の男性は、一花さんの師匠である春風亭一朝師匠と学生時代の同級生で、これまで一門の殆どの弟子を見てきたという筋金入である。一花さんが入門した際の逸話なども楽しくお話して頂いた。落語を聞くこと自体、今日が初めてというご婦人は、昼にパン屋を利用し興味がわいたので来場した。望外に楽しかったので、是非また足を運びたいとのことだ。人と場所その両方にファンがいて、一瞬、同じ時間を共有し、また離れてゆく。その循環は既に店の掌中にある。


再び、街へ
中締めでは、一花さんから、来年早々に朝七さんが二つ目へ昇進することが発表され、祝福も兼ねた一本締めで回は取り合えずのお開きとなった。一人、また一人と、熱を持った人々が街へ吸い込まれては消えてゆく。スクランブル交差点を渡る人、また人の群れ。それは消して「顔のない群衆」などではない。今夜、さまざまな場所でさまざまに特別な・あるいは平凡な経験をした人々を一つに包んで、また街は新陳代謝を進める。それは幸福な混乱であり、都市の特権だ。什器がもとあった場所に戻されると、店は何事もなかったように本来のパン屋へと戻った。明日の朝、パンを買いに訪れる人たちは、今夜ここであった時間を知らない。いつもと同じ場所・知り尽くしたつもりの場所でも、フと訪れる時間を変えてみれば予想外の顔を見せる。場所は「ある」のではない。見つけるものだ。私もまた、今よりは渋谷に来るようになるだろう。『パン・オ・スリール』。「笑顔のパン屋」を意味するその店の、パン屋としての顔を私はまだ知らない。
この記事を書いた人

小野寺邦彦/劇作家、脚本家、編集者。多摩美術大学在学中より始めた「架空畳」という小さな劇団で芝居を作っています。http://kaku-jyo.com/
今回訪れたところ
Pan au Sourire パン・オ・スリール
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷1丁目4−6